プロフィール

管理人

岡田 和己(おかだ かずみ)

当ブログは2016年10月15日より2018年2月10日まで殆ど毎日更新

2018年2月11日より新規記事の投稿は休止しています。

大阪府港区弁天町出身 東京都武蔵野市在住

1973年(昭和48年)ドラえもんと一緒の誕生日

動物占いは「夢とロマンのコアラ」(的中度は60%ぐらい??)

資格など

税理士(登録番号101983)

登録政治資金監査人(登録番号5305)

認定経営革新等支援機関

日商簿記検定1級合格

基本情報処理技術者

第二種電気工事士

居住歴

沢山(10回以上)引っ越ししていますので、様々な都市に住んでいました。

大阪府(大阪市城東区、門真市、守口市、寝屋川市)

愛知県(名古屋市西区、稲沢市)

東京都(杉並区、武蔵野市)

埼玉県(朝霞市、大井町(現ふじみ野市)、所沢市)

社会人経歴

(注)だらだら書いてます。時間のあるときに飲み物片手にどうぞ。

システム系プログラマー(1992年3月から1996年11月まで)

使用言語はUnix C、VB、VBA。言語は全て働きながら習得。

工場製造設備の管理システム立ち上げに従事。立ち上げの際は全国各地の工場に張り付くのが当たり前なので、出張が多い仕事だった。

軽くてシンプルなプログラムを書くのが好きで、得意。一度作ったプログラムを如何に使い回すかを考えていた。

ほどなくして第2種情報処理技術者(現 基本情報処理技術者)試験に合格。この試験の選択科目で目にした「簿記」が、人生初の簿記との出会い。まさか簿記でご飯を食べていくとは、夢にも思わなかったこの頃。

もちろん年末調整は会社から貰えるプレゼントぐらいの認識。

1995年(平成7年)1月17日の阪神淡路大震災のときは、徒歩で1時間以上かけて出社したところ、ディスプレイが全て前のめりに倒れており全滅。この光景は、今でも忘れられない。

1996年(平成8年)の春頃から、PCと格闘する毎日に疲れ、プログラミングは趣味で十分と思うように。

新しい道を探し迷走を始める。

大阪府警の警察官募集のビラをみて早速試験に申し込み。筆記は合格したが面接で不合格。そして諦める。今から思えば、何と根性のないことだろうか。

そして次は、自衛官いいかも?と思い、パンフレットの郵送請求を行なったところ、消印もなく封もされていない封筒がポストに入っていた。

自宅に訪問されたことで恐れおののき、自衛官よくないかも?とあっさり撤収。ここでも根性のなさを存分に発揮。

そんなとき、叔父が経営していた会社に出入りしていた税理士に誘われ、3日悩んで税理士事務所に転職することに決める。所謂若気の至り。

転職が決まったのが1996年9月で、慌てて日商簿記3級の勉強を開始。11月の検定に何とか合格し、税理士業界へ。

税理士事務所その1(1996年12月から2000年3月まで)

初めての税理士事務所は、縁故採用も同然の状況のもと入所。

そのためか、事務所のおばちゃんたちにとてもいびられ可愛がられて、1日で転職を後悔。だが何とか踏ん張った。

そして、いきなり目の前にやってくる年末調整。

これまで抱いていた、お小遣いを貰える素敵なイベントだという認識が否応なしに修正された。ちなみに自分自身の年末調整は人生初の追加徴収(゚Д゚)

この事務所の経営スタイルは、所長先生がひたすらお客さん訪問、資料回収して、所内の人間でひたすら記帳代行と申告書作成を行う、というもの。

入社数年経った頃、担当していた建設会社が突然倒産するという事件に遭遇。しょんぼりしていた私に、事務所のおばちゃんが「アンタじゃ何もでけへんかったよ」と言われたことが更に追い討ち。

きっと、私のせいじゃないとの意味だったと思うし、今なら記帳代行だけで支援できるわけが無いと思えるが、その当時の私には痛恨の一撃。

試算表の作成はそれなりに面白かったけど、だんだん満足しなくなり、試算表に提案コメントを書くようにしたら、所長先生に褒められる。その後、事務所全体で同じようにコメントすることになった。(注.というレベルの事務所です。。)

お客さんとの接点は電話のみ。このころはメールとかインターネットとか未だ未だのころ。

流石に、直接お客さんとやりとりしたいなぁ、との思いが募り出す。

その一方で、日商簿記は2級まで合格。でも税理士はそんなに強い取得意欲もなく、これまでの延長線上で独学にて日商簿記1級に2度挑むも、いずれも10点台の大敗。

1回目で独学無理と気づけない自分が、今から思い起こしてもイタイ。

1999年1月、2度目の敗戦の確定後、商工会議所からの帰り道をトボトボと歩いているときに、きっかけ不明のスイッチが心の中でパチッと、しかし間違いなく入った。

そして直ぐに大原簿記専門学校の門を叩く。

1999年6月は時間的に無理と判断し、同年11月の検定を目指し学習開始。

プロに教えて貰える簿記って、こんなに楽しいのかと感動。まるで難しいパズルを解いているような感覚。

11月の検定に無事合格。大原のパンフに載せたいからということで、人生初の取材を受ける。

この頃から、税理士を目指そうと本気で思うようになる。

と同時に、そろそろ他の事務所を見てみたいな、とも思うようになる。

税理士事務所その2(2000年3月から2006年4月まで)

大原簿記専門学校にあった人材紹介会社のビラを見て連絡を入れると、ほどなくして或る会計事務所の紹介を受ける。

面接にいくと、ややチャラい明るい感じのおじさまと妙に威圧感のある人が面接官。おじさまが所長で、威圧感は番頭さんだった。

話はトントン拍子に進み、気がついたら入所することに。

退職を税理士事務所その1の所長に報告すると、意外にあっさりした反応。

ところがその後から見事に「はみご(はみご=大阪弁。仲間外れの意)」にされる。

退職後に、退職月の給与計算が明らかに違っていると連絡したら所長先生に物凄い勢いで罵倒される内容の留守番電話が入っていて、この業界の退職って恐ろしいと認識。

新しい事務所は、希望通り外回りがあり、お客さんと直接お会いしてお話ししたり、一緒に飲みに行ったりと慣れないながらも楽しい毎日を過ごす。

事務所の職員さんも、番頭さんと古参の従業員さんがとても経験豊富な方たちで、日常の相談は勿論、仕事の取り組み方も沢山学ばせて頂いた。

試験勉強への支援は無く、夕方に専門学校に通い、21時半ごろ事務所に戻って仕事再開、ということも珍しくなかった。

初めての税理士試験の試験日が3日後に迫ったある日、番頭さんの子飼いの人に飲みに連れて行って貰った事件は忘れられない思い出(笑)番頭さんも税理士受験生(受験科目も一緒)なので、勿論飲みになど行かず。

そんな環境のなか2000年から1年1科目の計画で受験を進めた税理士試験。

専門学校の教育力と運の力を得て、2004年12月、受験を始めて5年で最終合格に到達。

またもやパンフに載せたいからと大原から取材を受け、合格祝賀会にて合格者代表として挨拶せよとの司令を頂く。

合格で浮かれていたころ、所長先生より給与を倍に、更に10年後に事務所を譲るとのお話しを頂く。言った言わないはマズいからと覚書も作成頂く。

外様大名の自分に身に余る待遇で、今から思い起こしても僥倖としか表現のしようがない思い出。

でも、そんな事務所と、なんとサヨウナラすることに。

税理士事務所その3(2006年5月から2013年7月まで)

10年後に所長になる自分を想像した一方で、もっと大きな組織で、もっと大きなお客さんとも仕事をしたい、相続や組織再編もバリバリやりたい、との思いが日増しに強くなっていった。

今の事務所ではそれは不可能。でも10年後は安定した待遇(←今から思えば間違った考え方だが、当時はそう思っていた。)

結果、縁あって名古屋の大手税理士法人への転職を決断する。

所長先生は勿論落胆。お客さんには考え直せと言われ、心が揺らぐが決断は変わらず。

転職後は想像を僅かに超える仕事内容と、想像を遥かに超えるハードワーク。

入社一ヶ月でお客さんからクレームを受けるは、仕事の進め方がまずく周囲に迷惑をかけるはで最初の半年間はボロボロ。

もっとも衝撃的だったのが、9月決算のお客様を同時に5件担当することになり、全てが新規顧客だったこと。この時は、労働基準法を無視してかなり頑張った。

勤務時代で最も過酷だったと迷いなく言えるこの時代。

そんな中、担当させていただいているお客様から、財務担当の取締役として我が社に来てくれないか、とお声を掛けていただく。

退職を決意し、上司に告げると、なぜか2011年7月頃、部門長を拝命。

そしてなぜか同年10月ごろ、2012年5月に新設する東京事務所に所長として行ってこいとの指令が下る。

(このあたりの経緯は込み入っているので、興味がある方は「部門長の件で」と直接聞いて頂ければ。)

東京事務所では、顧客の新規開拓が唯一にして絶対の任務。だが中々結果が出せない。

そんななか、2012年12月の役員面談で名古屋へ戻れとの趣旨の説明があった。流石に納得がいかないなか、東京事務所赴任指令を受けた時に抱いていた第2のプラン「東京で資産税をやる」を発動させ、退職することを決意。

税理士事務所その4(2013年8月から2015年10月まで)

初めてお世話になる資産税に特化した税理士事務所。

39歳にして新入社員にでもなったかのような心持ちで迎えた。

入所して直ぐに気づいたのが、自身の心持ちと周囲の期待の視線が全くもって異なること。更に1ヶ月ほど経つと、周囲の期待の正体が「管理職候補として入所したこと」だったことがが判明。

このギャップが2年後の退職に繋がっていくのだけど、今はまだそこまで意識せず。

ただひたすら資産税業務に没頭する毎日。

・・・・

続きは乞うご期待!

税理士事務所その5(2015年10月から2017年4月まで)

絶賛執筆構想中

職務経験

法人、フリーランス(個人事業)

ひとり事業から上場企業まで、特に中小企業(売上高1億円〜数百億円)や上場子会社の経験が豊富です。

グループ法人間の合併や分割、連結納税コンサルの実績もあります

相続税、贈与税、譲渡所得(資産税業務)

相続税申告業務

・・少なくとも30件以上の経験があります。

相続対策などの提案

・・正確な数は分かりませんが、一カ月あたり1〜5件は何らかの立案、提案を行っています。

税務調査(立会い、当局との折衝)

約30件の立会い、当局との折衝経験があります。

国税局調査課、資料調査課による税務調査の経験もあります。

こんな税理士像を描いています

・腕の良い町医者のような税理士

・何かあれば「とりあえず岡田に聞いてみよう」と思われる税理士

・税務署と喧嘩はしないけど、妥協もしない税理士

・お金の報酬も大事だけど、感謝されることが最高の報酬と考える税理士

使用PCなど

2017年5月〜 MacBook Pro (15-inch, 2016)

2017年6月〜 デュアルディスプレイ化(Dell ディスプレイ モニター P2417H/23.8 インチ)

ParallelsDesktopによる仮想環境上でWindows10も走らせる

スマホはiPhone6Plus

好きなもの

・マラソン

フルマラソン出走記録

2011年10月30日 第1回大阪マラソン 完走

2013年10月27日 第3回大阪マラソン 完走

2015年12月6日 第31回NAHAマラソン 完走

2016年12月4日 第32回NAHAマラソン 途中棄権

2017年4月16日 かすみがうらマラソン兼国際盲人マラソン2017 完走

2017年12月3日 第33回NAHAマラソン 完走

・自転車(琵琶湖1周を2回)愛車はTREK 7.4FX RED

・赤ワイン(デイリーワイン専門)

・シングルモルト(特にタリスカーがお気に入り)

・カルディ(いつも余計なものを買ってしまう)

・チーズケーキ(自分でNYチーズケーキを焼きますよー)

・パン屋巡り

好きなパン屋さん、ベーグル屋さん

・たまき亭(京都府宇治市)

・シニフィアンシニフィエ(世田谷区)

・ブーランジェリースドウ(世田谷区)

・ブールアンジュ(旧 ゴントランシェリエ)(渋谷区)

・ヴィロン(渋谷区ほか)

・パンデュース(大阪市中央区)

・ダンディゾン(東京都武蔵野市)

・ブーランジェリービストロ エペ(東京都武蔵野市)

・リンデ(東京都武蔵野市)※ドイツパン

・Bagle粉音(東京都三鷹市)

・スバル車(2015年までレガシィツーリングワゴン2.0GTのオーナー。生活に必要ないけど余裕ができたら欲しい。)

・猫(先代猫は2000年から2014年まで同居。現在は2匹の子猫と同居中)

黒白の子がノアくん(2015年生まれ)

ノアくんに乗っかっているのがメグちゃん(2016年生まれ)

・筋トレ

・沖縄

・ハワイ(時間とお金がある限り滞在していたい)

・時間がかからないスマホゲーム(現在はディズニーツムツム)

・献血(目標回数は100回以上)

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